どうすれば人間らしさを デザインできるのか?

既にAIは、ホテルでの接客ロボット、駅内のパトロールロボット、チャットbotでのEC販売などの対話型エージェントとして導入され始めています。これらをより普及させるためのアプローチはいくつもありますが、その1つとして重視されている一つが、ユーザーとプロダクト(システムなど)が互いにどう振る舞うか、どういう情報をやりとりするかを設計する「ヒューマンインタラクション」の部分です。

ヒューマンインタラクションとは?

「ヒューマンインタラクション」は実に幅広い分野を包括する学問で、コンピューター科学のみならず、人間工学、心理学、社会学など、多方面の分野が交錯し形成されます。例えば、現在のソーシャル・ネットワーク時代においても、人間の社会的性質は固定電話を使っていた時代とあまり変化がないわけですが、道具が変化したことによって構造が変わり、それがひいては人間性の発露を変えてしまうといったことが起こっています。 昔ならば家に戻って電話で話すまで、恋人が何をしているのかは分かりませんでした。しかし今ではひっきりなしにラインやツイートが入ってくる。恋人の様子を知りたいという人間の根底の社会的欲望は同じでも、情報の入手方法が変わり、それによって人間と人間、あるいは人間と情報の関係における構造が変わっているのです。

AIの行う仕事が複雑になるのに伴って、AIとユーザーの間の有効なコミュニケーションがますます重要になってきます。どのような対話システムのデザインが人間にとっての心地よさを作り出すのでしょうか?

今回はいくつかの興味深い実験をご紹介したいと思います。

人はなぜコンピューターを擬人化するのか?

「メディア等式」とはバイロン・リーブスとクリフォード・ナス(1998)の提唱になるもので、メディアを現実とみてしまう人間の認識方法の事です。彼らの研究を通して、人間界にみられるきわめて一般的な現象だということが明らかになりました。

ここでのメディアはコンピューターなどのインターフェイス、映画やテレビの視聴、広告などを含む広い概念です。著者らの実験から導かれれる結論に従えば、コンピューターが自然言語で問いかけてくるとき、それに対する人間の反応は「人間対人間」の反応と同じく社会的要因に影響されるという説です。

それは意識的な擬人化ではなく、ほぼ無意識に、自動的に起こる擬人化であるというところがポイントで、「私はパソコンを人間扱いするなどばかばかしいことはしない」という人でさえ、それを自動的に行っていると著者は指摘します。

ビデオ会議の技術的な問題が人間に対する評価にそのままつながったり、ラベルを貼っただけのテレビを専門家扱いしたり、メールより手紙の方が温かみがあると感じられたり、人間はコンテンツそのものよりも、メディアの形式に影響されるのです。

そもそも人間はいちいち「これは現実で、あれはフェイクだ」といった判断はしません。人間にとっては何が正しいかよりも、何が正しく見えるかが問題だと著者は指摘します。

ぼくたちの実験から、実在するものによってできている現実よりも、知覚されるものの方が、ずっと影響力を持つことがわかる。

人間は、機械が相手でも「雑談」してしまう

この提唱通りの結果が日本の実験においても見られました。

十数年前、奈良県生駒市の対話型情報案内システム『たけまるくん』で実証実験が行われました。生駒市北コミュニティセンターのサービスや施設を案内するシステムなのですが、利用者はそういう話題をあまり聞かずに『かわいいね』とか『今日は何してるの?』といったように、別の雑談をしてしまう人が過半数にも至ったとのことです。

特にキャラクター化するなど、インタフェースを人間っぽくすればするほど、相手がシステムだと分かっていても、雑談などを通じて“人間関係”を作ろうとしてしまう傾向にあるとのこと。これは商用サービスの利用データを見ても同じ傾向が出てきます。

ある時点で突然強い嫌悪感に変わる「不気味の谷」現象

一方で、人間を模したロボットが、より人間らしく近づくにつれて、ある時点で突然強い嫌悪感に変わり、その谷を越えれば、人間と同じような親近感を覚える事が分かっています。この現象を「不気味の谷」といいます。

不気味の谷とは、東京大学の森政弘名誉教授が1970年に提唱された考え方です。

不気味の谷現象とは、美学・芸術・心理学・生態学・ロボット工学その他多くの分野で主張される、美と心と創作に関わる心理現象で、外見的写実に主眼を置いて描写された人間の像(立体像、平面像、電影の像、動作など)を、実際の人間が目にする時に、写実の精度が高まってゆく先のかなり高度なある一点において、好感とは正反対の違和感・恐怖感・嫌悪感・薄気味悪さ (uncanny) といった負の要素が観察者の感情に強く出現するというものです。

好感度の理論上の放物線が断崖のように急降下する一点を谷に喩えて不気味の谷 (uncanny valley) と呼ばれています。また、「動き」というものも、人間を含めて動物一般の、したがってまたロボットの命なのですが、この動きというファクターが加わると、山はいっそう高く、また不気味の谷はさらに深みを増す事が分かっています。

グラフにするとこのようになります。

日本においては、AIロボットが介護者として受け入れられるには、人間の姿をしていなければならないという風潮がありますが、オープン・ソース・ロボティクス・ファンデーションのCEOブライアン・ガーキー氏はこう述べます。

「現在、車椅子のようなものに人型ロボットを乗せて、様々な場所にアクセスさせる方法が議論されているという。しかしそのロボットが人間らしい姿をしている必要については不確かだ。ある程度まで人に似せることは簡単だが、不気味の谷現象は手ごわくて、いい方法であるとはいいがたい。むしろ抽象的な外見にしてしまった方がいい可能性もある。」

しかし、最近は上記のようにほとんどリアルな人間と見分けがつかないロボットが設計されています。このロボットの頭部の表情の動きを見ると、個人的には不気味の谷は越えたと言ってもいいのではないかと思います。

 

終わりに

新しいタイプのバーチャ ルリアリティなど、デジタルガジェットをラボ環境で試すと、いつも、ごくささいな設計の変更によって使用者の体験が大きく変わることはビジネスにおいてもよく知られているでしょう。どちらのボタンが使いやすいかどうかなど、ちょっとした違いで使い方が根本的に変わったりするのです。

例えば、スタンフォード大学の研究者、ジェレ ミー・ベイレンソンが示したように、バーチャルリアリティの世界で自分を表すアバターの身長をかえると、社会的な自己認識や自意識、自信までもが変化します。技術は我々自身を拡張するもので、ガジェットをいじると我々のアイデンティティーまでもが変化してしまうのです。

情報技術をいじると、どうしても、社会工学が絡んでしまう。このようにデジタル関連の技術は哲学的に深遠 な問いを内包するもので、媒体の設計が異なると、人間性の発露も変化してしまう可能性がある。